食べ物

 

 

 

写真以下73枚。5月の初旬、個人的に、休みであった日(以下、この日と書きます)に、鎌倉(kamakura)を散歩して来た時の物です。

 

この日は、朝寝坊をし、遅い朝食兼昼食を、我が家で食べてから、のんびりと、(東京都心部の我が家を)出発し、電車で、鎌倉(kamakura)に向かいました。この日の遅い朝食兼朝食の内容は、普段、働いている日に食べている朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と、基本的に、同じでした。

 

写真以下3枚。おまけ。。。行きに撮影した、東京都心部の私の街(基本的に静かで、落ち着いた住宅地です)の、一戸建て住宅の、ツツジ(躑躅)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京の南部近郊にある、鎌倉(kamakura)は、中世(1185年から1333年まで)に、日本の政治の中心地であった中都市であり、中世以来の歴史を有する、寺や神社(shrine)が、数多くあります(ただし、鎌倉(kamakura)の寺や神社(shrine)の、現在の建物については、(極一部の例外を除き)中世よりも後の時代に、火事等の焼失により、再建された物であったり、時代に合わせて、建替えられている物です)。その為、鎌倉(kamakura)は、東京近郊の主要な観光地の一つとなっています。

 

私は、通常、鎌倉(kamakura)散歩が主目的の場合、(鎌倉(kamakura)は、道が狭くて、自動車を運転するのが疲れる等の理由により)、自動車ではなく、電車を使って行きます。この時も、電車を使って、鎌倉(kamakura)に行きました。

 

 

写真以下52枚。鎌倉(kamakura)を散歩。。。

 

写真以下34枚。海蔵(kaizou)寺。1253年に創建された仏教の寺です(寺の建物は、時代に合せて、建替えられています)。規模は、小さな寺で、鎌倉(kamakura)の寺の中で、高い人気の観光地となっている寺ではありませんが(鎌倉(kamakura)の、主要な観光地となっている寺ではありませんが)、鎌倉(kamakura)で、個人的に、お気に入りの寺の一つとなっている寺です。海蔵(kaizou)寺は、1791年の境内(寺の敷地)図を見ると、主な建物の配置は、現在と、ほとんど変わっていない様です(海蔵(kaizou)寺の、パンフレット(leaflet)より。。。)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。寺の本堂(寺の、mainの建物)。現在の、海蔵(kaizou)寺の、本堂(寺の、mainの建物)は、先代の、本堂(寺の、mainの建物)が、関東大震災(1923年に東京areaを襲った巨大地震。東京圏が、非常に大きな被害を受けた)で倒壊した後、1925年に建てられた物です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。この建物は、1577年に建てられたと推定されていますが、1776年に、大幅な修理が加えられています(wiki等を参考にしました)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下4枚。16井戸。海蔵(kaizou)寺の近くにある、鎌倉(kamakura)時代(1185年から1333年)に作られた(もっと、ずっと古くに作られたと言う説もある)、少し神秘的な、井戸です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海蔵(kaizou)寺に安置されている像の例。。。海蔵(kaizou)寺の、パンフレット(leaflet)より。。。

 

 

 

 

 

 

鎌倉(kamakura)は、(中世には、日本の政治の中心地でしたが)、15世紀半ば以降、衰退し、一時期、基本的に衰退した状態に有りましたが、19世紀頃から、徐々に観光地として発展し始め、また、19世紀後期以降、東京に近い、近代別荘地・保養地として発展し、再興しました(wikiを参考にしました)。鎌倉(kamakura)は、19世紀後期以降、作家や詩人等、多くの文学者が、好んで、居住し、若しくは、別荘を構えて来ました。また、鎌倉(kamakura)は、1920年代、1930年代頃から、横浜や東京に通勤する、大学教授や高学歴(大学卒)会社員等の、インテリ(知識人)中流層・中上流層が暮らす、郊外住宅地として発展して行きました。鎌倉(kamakura)は、現在も、小説家や、画家、文系の大学教授等、文化人達に好まれ、鎌倉(kamakura)及びその周辺には、こうした人々が、多く暮らしているイメージが有ります。

 

 

写真以下、11枚。新緑の、鎌倉(kamakura)の、住宅地の風景。鎌倉(kamakura)は、中心部の繁華街や、自動車の通行量の多い幹線道路沿いを除けば、基本的には、静かで落ち着いた住宅地となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつて、川喜多 長政(kawakita nagamasa)・川喜多 かしこ(kawakita kashiko)夫妻(下の補足説明参照)が暮らしていた、鎌倉(kamakura)の邸宅(敷地面積、約9,500平方m(約2,900坪))の敷地。この邸宅は、同夫妻の遺族が、映画記念館にと、1994年に、鎌倉(kamakura)市に寄付し、現在は、同夫妻の業績及び同夫妻に縁のある映画に関する展示を中心とした資料館、川喜多(kawakita)映画記念館となっています。なお、この、川喜多(kawakita)夫妻の邸宅の、母屋(mainの建物)(1910年代に建てられた、日本伝統式の邸宅の建物)は、既に取り壊され、現代建築の、川喜多(kawakita)映画記念館の建物に建て替えられています。ちなみに、川喜多(kawakita)夫妻は、かつて、この、元、川喜多(kawakita)夫妻の邸宅(敷地面積、約9,500平方m(約2,900坪)。現在は、川喜多(kawakita)映画記念館となっている)の他に、この、元、川喜多(kawakita)夫妻の邸宅の、すぐ近くの、1920年代から1930年代に建てられた、西洋式の一戸建て住宅(現在は、川喜多(kawakita)家とは無関係の?個人の、一戸建て住宅となっている)も、邸宅の一部として所有・利用していたそうです(この一戸建て住宅は、(場所(通り)的に)、その前を、何度も通り過ぎているものの、意識して見た事はないのですが、ネット(internet)で見られる写真を見る限り、敷地面積は、400坪(約1,320平方m)位有りそうです。。。)。
川喜多 長政(kawakita nagamasa)・川喜多 かしこ(kawakita kashiko)夫妻:川喜多長政(kawakita nagamasa)(1903年生まれ、1981年に亡くなる)は、日本の有名な、映画輸入者、映画製作者です。1920年代後期頃から映画輸入者として活躍し、1939年、上海に、日中合弁の、中華電影公司が設立されると、その最高責任者に就任しました(彼自身が、中国大陸に渡る決心をしたのは幾つかの説があり、彼自身は、中国との友好の掛け橋となりたいと説明していますが、日本とドイツと満州国(1932年から1945年に存在した日本の傀儡国家。中国の東北部に当たる)の協定により、ドイツ映画の配給について満州国が独占権を握ったため、映画輸入者の彼は、これに対抗しようとしたとする説もあります。。wikiより。。。)。中華電影公司は、日本が関与した国策映画会社の一つでしたが、川喜多 長政(kawakita nagamasa)は、中国側のスタッフ(staff)に自由な映画制作を許し、日本の軍部からの圧力に抵抗しました。第二次世界大戦に、日本が敗戦した後は、川喜多 長政(kawakita nagamasa)は、家族を、先に、日本に帰らせ、上海で、残務整理をしていましたが(会社の、残った仕事を片付けていましたが)、1946年に、日本に帰国しました(wikiより)。日本に帰国して間もなく、1947年に、川喜多 長政(kawakita nagamasa)は、連合国軍最高司令官総司令部によって、日本の国策映画会社に強く関与していたとして?、公職追放されましたが(政府の要職や民間企業の要職につく事を禁止されましたが)、世界中から、彼に助けられたユダヤ人や中国人の弁護の声明が出され、1950年に、公職追放が、解除されました(wikiより)。公職追放が、解除されてから、間もなく、川喜多 長政(kawakita nagamasa)は、黒澤 明(kurosawa akira。日本の世界的に有名な映画監督)の作品、「羅生門(rashomon)」(1950年)の、1951年のヴェネツィア国際映画祭(Venice Film Festival)への出品に関与しました(同作品は、1951年のヴェネツィア国際映画祭(Venice Film Festival)で、グランプリ(Golden Lion)を獲得。黒澤 明(kurosawa akira)の映画のみならず、日本の映画を、世界に知らしめるきっかけとまりました)。川喜多 かしこ(kawakita kashiko)(1908年生まれ。1993年に亡くなる)は、川喜多 長政(kawakita nagamasa)の妻で、日本の、有名な映画輸入者です(川喜多 長政(kawakita nagamasa)との結婚後、1930年代頃から活躍。川喜多 長政(kawakita nagamasa)と結婚する前は、川喜多 長政(kawakita nagamasa)の秘書をしていた)。川喜多 長政(kawakita nagamasa)・川喜多 かしこ(kawakita kashiko)夫妻は、世界中の、著名な映画関係者と交流を持っていました(特に、フランスの、著名な映画関係者と、深い交流を持っていた様です)。

 

ちなみに、私は、川喜多(kawakita)映画記念館の建物(資料展示館。前述の通り、元、川喜多(kawakita)夫妻の邸宅の母屋(mainの建物)を取り壊し、その跡に建てられた、現代建築の建物)の中には、入った事がありません(率直に言って、川喜多(kawakita)夫妻の業績には、それ程は、興味が無いため。。。全く興味がないと言う訳ではありませんが。。。いつか、気が向いたら、入ってみます)。

 

 

 

 

 

写真以下2枚。寿福(jyufuku)寺。1200年に創建された仏教の寺です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下8枚。小町(komachi)通り(下の、補足説明参照)沿いにある、カフェ(cafe)で、おやつを食べました。このカフェ(cafe)は、比較的、最近、初めて利用した店で、この時で、利用したのは、3回目でした。このカフェ(cafe)、今後、鎌倉(kamakura)で、お気に入りのカフェ(cafe)になりそうです(ちなみに、このカフェ(cafe)の食事は、中々、美味しいです)。
小町(komachi)通り:鎌倉(kamakura)の中心部にある、全長600m程の、幅の細い通りで、商店や飲食店が連なり、観光客や地元の人々で賑わう、鎌倉(kamakura)で、最も賑やかな通りとなっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。この時、私達が、飲んだ、飲み物。

 

 

左上。彼女が、飲んだ、カフェモカ(cafe mocha)。

 

 

 

 

写真以下2枚。私が飲んだ、春をイメージした、炭酸飲料(soda pop)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。この時、食べた、おやつ。何れも、2人で、分けて食べました。

 

写真以下2枚。スコーン(scone)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チョコレートケーキ(chocolate cake)。

 

 

 

 

 

 

 

写真以下5枚。この日の夕食を、鎌倉(kamakura)の、北鎌倉(北kamakura)areaにある、イタリア料理レストランで食べてから帰りました。この、イタリア料理レストラン(近年(2011年に)、オープン(open)した店です)は、前から気になっていた(どんな店が、オープン(open)するのか分からなかったが、オープン(open)前から、気になっていた)、店なのですが(この時まで、何回か、昼食で、利用しようとして、席が一杯で(予約で、一杯で)、利用出来ませんでした)、この時、初めて利用しました(当日に予約して、夕食で、利用しました)。このイタリア料理レストランは、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)から1930年代頃に建てられたと思われる、古い住宅を改装した、イタリア料理レストランです(店の雰囲気は、良いです)。

 

 

 

写真以下5枚。このイタリア料理レストランで食べた、この日の夕食。全て、二人で分けて食べました。ちなみに、この時、私は、飲み物は、ワイン(wine)を飲みました。

 

 

 

魚の、カルパッチョ(carpaccio)、サラダ(salad)。

 

 

 

 

 

 

 

 

ツブ貝(貝)と大根の、パスタ(pasta)。

 

 

 

 

 

写真以下2枚。モッツァレラチーズ(mozzarella)、生ハム(ham)、ルッコラ(rucola)、パルミジャーノ(Parmigiano-Reggiano)の、ピザ(pizza)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オリーブ(olive)牛(牛肉。下の補足説明参照)の、リブロース(rib・short loin)の、グリル(焼き物)。
オリーブ(olive)牛:香川(kagawa)県(四国(shikoku)地方(日本の西南部)に位置する県の一つ)の、小豆(shodo)島(人口3万人程の、比較的、大きな島)産の、オリーブ(olive)の搾り果実を与え育てた牛の、高品質な(高級な)牛肉。

 

 

 

このイタリア料理レストランの料理は、全般的に、中々、美味しかったです(特に、ピザ(pizza)が、美味しかったです。ちなみに、このイタリア料理レストランは、ピザ(pizza)を、自慢のメニュー(menu)としている店です)。このイタリア料理レストラン、値段に比べた、満足度も、中々高く、今後、鎌倉(kamakura)で、お気に入りのイタリア料理レストランの一つになりそうです。

 

 

 

 

 

写真以下5枚。この時、鎌倉(kamakura)で、買って来た物。鎌倉(kamakura)の、こ寿々(kosuzu)と言う蕎麦屋さん(蕎麦食堂)の、わらび(warabi)餅。わらび(warabi)餅は、質素で、素朴な、日本伝統菓子の一つです。こ寿々(kosuzu)の、わらび(warabi)餅は、お気に入りとなっています。こ寿々(kosuzu)の、わらび(warabi)餅は、美味しいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(中身が寄って、形が崩れてしまいましたが)、中身は、こんな感じ。。。

 

 

 

 

 

付属の、黒蜜と、きな粉(大豆を粉末にした食品)を付けて食べます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、適当に、おまけ。。。投稿の本文(「鎌倉(kamakura)散歩&食べ物」)とは、関係がありません。

 

 

 

 

 

写真以下7枚。昨日の昼食と夕食等。ちなみに、昨日、出勤前に、我が家で食べた朝食は、普段通りの朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))でした。

 

 

昨日は、仕事の用事で、吉祥寺(kichijyoji)(東京の西部郊外最大の繁華街。東京中心部(東京23区)に近い、東京の西部郊外に位置する)を訪れたのですが(吉祥寺(kichijyoji)は、仕事の用事で、よく訪れます)、東京チカラめし(東京 chikarameshi)の、吉祥寺(kichijyoji)の店舗で食べた、昨日の昼食。焼き牛丼(焼き牛肉丼)。私は、牛丼(牛肉丼)食堂のチェーン店(chain)は、総合的に見れば、極たまにから、たまに利用していると言った感じです(利用しない時は、結構長い間、全く利用しない一方、利用する時は、結構続けて利用する時もある)。
東京チカラめし(東京 chikarameshi):東京圏を中心に、店舗を展開する、ファーストフード(fast food)の牛丼(牛肉丼)のチェーン店(chain)(メニュー(menu)の種類は、豊富です)。東京チカラめし(東京 chikarameshi)は、焼き牛丼(焼き牛肉丼)を、メニュー(menu)の特徴(自慢のメニュー(menu))としています。東京チカラめし(東京 chikarameshi)もそうですが、日本において、牛丼(牛肉丼)食堂のチェーン店(chain)は、通常、ファーストフード(fast food)の牛丼(牛肉丼)のチェーン(chain)となっています。その事から、日本人にとっての、牛丼(牛肉丼)食堂のチェーン店(chain)の牛丼(牛肉丼)等の存在は、例えて言うならば、アメリカ人にとっての、マクドナルド(Macdonald’s)等の、ハンバーガー(hamburger)に近い存在と言えます(もっとも、日本には、マクドナルド(Macdonald’s)等の、ファーストフード(fast food)のハンバーガー(hamburger)の、チェーン(chain)も、たくさんありますが。。。)。

 

 

 

 

 

 

 

昨日、昼食後、吉祥寺(kichijyoji)の取引先の一つを訪れた後、移動の合間に、Auntie Anne’sの、電車(韓国式に言えば地下鉄)の、吉祥寺(kichijyoji)駅の店舗で、一休み(ちょっと休憩)して、食べた、おやつ。苺ミルク(苺milk)の、プレッツェル(pretze)(左)、サワークリーム&オニオン(sour cream&onion)の、プレッツェル(pretzel)(右)。

 

 

 

 

 

写真以下5枚。仕事から、我が家に帰って来て一人で食べた、昨日の夕食。全て、マートで買った物です。この他、軽く、野菜サラダ(salad)を食べました。結構、腹が、パンパンに(腹が、とても一杯に)になってしまいました。ちなみに、昨日の夕食時は、飲み物は、日本酒とビールを飲みました。

 

写真以下2枚。鯖の寿司。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚は、中国料理。

 

 

写真以下2枚。国産(日本産)豚肉の焼売、帆立の焼売、蟹の焼売。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

魚介類(seafood)と玉子の、チリソース。

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、適当に、雑多な、おまけ。。。

 

 

 

マンゴー(mango)。左、メキシコ産のマンゴー(mango)。右、タイ(Thailand)産のマンゴー(mango)。

 

 

 

 

 

 

以下、お菓子、色々。。。

 

 

写真以下2枚。香川(kagawa)県(四国(shikoku)地方(日本の、西南部)に位置する県の一つ)産の、大きな、栗、饅頭。日本では、饅頭は、一般的に、中に甘い餡が入った、大衆的な和菓子(日本伝統菓子)の一種の事を言います(日本では、饅頭(様々な種類があります)は、最も、よく食べられている、和菓子(日本伝統菓子)の一つとなっています)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が好きな、ベルギー(Belgium)のクッキー(cookie)。私は、このクッキー(cookie)の素朴な味が好きで、よく食べています。

 

 

 

 

 

 

昔から、有り勝ちな(よくある)、カナダ産の、メイプルシロップ(maple syrup)(メープルシュガー(maple sugar))のクリーム(cream)を挟んだ、クッキー(cookie)。

 

 

 

 

 

 

 

デンマーク(Denmark)産の、クランベリー(cranberry)、クッキー(cookie)。

 

 

 

 

 

 

以下、チョコレート(chocolate)、色々。。。

 

 

 

ベルギー(Belgium)産、オレンジ(orange)風味の(オレンジピール(orange peel)入りの)、トリュフチョコレート(chocolate truffle)。

 

 

 

 

 

Francois Douce(南フランスの、菓子会社)の、チョコレート(chocolate)菓子。頂き物。

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。日本産の、バンドエイド(Band-Aid)型の、チョコレート(chocolate)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハワイ(Hawaii)産の、ホワイトチョコレート(white chocolate)。

 

 

 

 

 

写真以下。Royce’ 石垣(ishigaki)島(下の補足説明参照)の、黒糖(黒砂糖)チョコレート(chocolate)。頂き物。美味しいです。沖縄(okinawa)県では、サトウキビ(sugar cane)が多く栽培されていて、沖縄(okinawa)は、砂糖の主要な産地となっています(沖縄(okinawa)県では、実際には、普通の砂糖(白い砂糖)の原料糖の方が、多く作られているのですが(おそらく。。。)、一般的には、黒砂糖の産地として有名です)。
Royce’ 石垣(ishigaki)島:Royce’(北海道(hokkaido)(日本の北端に位置する、都道府県(prefecture))の札幌(sapporo)(北海道(hokkaido)の中心都市)の高級チョコレート会社)の、沖縄(okinawa)県(日本最南端の県)の、石垣(ishigaki)島にある子会社。沖縄(okinawa)県は、1879年まで、琉球(ryukyu)王国と言う独立国だった為、日本の中で、かなり個性的な文化を有する地域となっています(沖縄(okinawa)県の伝統文化は、地理的条件及び、中継貿易国として栄えた歴史から、とても大雑把言えば、中国・日本・東南アジア・オセアニア(Oceania)の要素が入り混じった文化と言う感じかな。。。)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


카마쿠라(kamakura) 산책&음식.

 

 

 

사진 이하 73매.5월의 초순, 개인적으로, 휴일인 날(이하, 이 날이라고 씁니다)에, 카마쿠라(kamakura)를 산책해 왔을 때의 물건입니다.

 

이 날은, 늦잠을 자, 늦은 아침 식사겸점심 식사를, 우리 집에서 먹고 나서, 한가롭게, (도쿄도심부의 우리 집을) 출발해, 전철로, 카마쿠라(kamakura)로 향했습니다.이 날이 늦은 아침 식사겸아침 식사의 내용은, 평상시, 일하고 있는 날에 먹고 있는 아침 식사(빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yoghurt))와 기본적으로, 같았습니다.

 

사진 이하 3매.덤...가에 촬영한, 도쿄도심부의 나의 거리(기본적으로 조용하고, 침착한 주택지입니다)의, 독립주택의, 철쭉(척촉).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

도쿄의 남부 근교에 있는, 카마쿠라(kamakura)는, 중세(1185년부터 1333년까지)에, 일본의 정치의 중심지에서 만난 안도시이며, 중세 이래의 역사를 가지는, 절이나 신사(shrine)가, 많이 있습니다(다만, 카마쿠라(kamakura)의 절이나 신사(shrine)의, 현재의 건물에 대해서는, (극히 일부의 예외를 제외해) 중세보다 후의 시대에, 화재등의 소실에 의해, 재건된 것이거나 시대에 맞추고, 개축라고 있는 것입니다).그 때문에, 카마쿠라(kamakura)는, 도쿄 근교의 주요한 관광지의 하나가 되고 있습니다.

 

나는, 통상, 카마쿠라(kamakura) 산책이 주목적의 경우, (카마쿠라(kamakura)는, 길이 좁아서, 자동차를 운전하는 것이 지치는 등의 이유에 의해), 자동차가 아니고, 전철을 사용해서 갑니다.이 때도, 전철을 사용하고, 카마쿠라(kamakura)에 갔습니다.

 

 

사진 이하 52매.카마쿠라(kamakura)를 산책...

 

사진 이하 34매.해 장(kaizou) 사.1253년에 창건 된 불교의 절입니다(절의 건물은, 시대에 배합하고, 개축라고 있습니다).규모는, 작은 절에서, 카마쿠라(kamakura)의 절 중(안)에서, 높은 인기의 관광지가 되고 있는 절이 아닙니다만(카마쿠라(kamakura)의, 주요한 관광지가 되고 있는 절이 아닙니다만), 카마쿠라(kamakura)에서, 개인적으로, 마음에 드는 절의 하나가 되고 있는 절입니다.해 장(kaizou) 사는, 1791년의 경내(절의 부지) 도를 보면, 주된 건물의 배치는, 현재와 거의 변함없는 같습니다(해 장(kaizou) 사의, 팜플렛(leaflet)보다...).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.절의 본당(절의, main의 건물).현재의, 해 장(kaizou) 사의, 본당(절의, main의 건물)은, 선대의, 본당(절의, main의 건물)이, 관동 대지진(1923년에 도쿄 area를 덮친 거대 지진.동경권이, 매우 큰 피해를 받았다)로 도괴한 후, 1925년에 지어진 것입니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.이 건물은, 1577년에 지어졌다고 추정되고 있습니다만, 1776년에, 대폭적인 수리가 더해지고 있습니다(wiki등을 참고로 했습니다).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 4매.16 우물.해 장(kaizou) 사의 근처에 있는, 카마쿠라(kamakura) 시대(1185년부터 1333년)에 만들어진( 더, 훨씬 낡게 만들어졌다고 하는 설도 있다), 조금 신비적인, 우물입니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

해 장(kaizou) 사에 안치되고 있는 상의 예...해 장(kaizou) 사의, 팜플렛(leaflet)보다...

 

 

 

 

 

 

카마쿠라(kamakura)는, (중세에는, 일본의 정치의 중심지였지만), 15 세기 중반 이후, 쇠퇴해, 한시기, 기본적으로 쇠퇴한 상태에 있었습니다만, 19 세기무렵부터, 서서히 관광지로서 발전하기 시작해 또, 19 세기 후기 이후, 도쿄에 가까운, 근대 별장지·보양지로서 발전해, 재흥 했습니다(wiki를 참고로 했습니다).카마쿠라(kamakura)는, 19 세기 후기 이후, 작가나 시인등 , 많은 문학자가, 기꺼이, 거주해, 혹은, 별장을 지어 왔습니다.또, 카마쿠라(kamakura)는, 1920년대, 1930년대무렵부터, 요코하마나 도쿄에 통근하는, 대학교수나 고학력(대졸) 회사원등의, 인텔리(지식인) 중류층·나카가미류층이 사는, 교외 주택지로서 발전해 갔습니다.카마쿠라(kamakura)는, 현재도, 소설가나, 화가, 문과의 대학교수등 , 문화인들에게 선호되어 카마쿠라(kamakura) 및 그 주변에는, 이러한 사람들이, 많이 살고 있는 이미지가 있습니다.

 

 

사진 이하, 11매.신록의, 카마쿠라(kamakura)의, 주택지의 풍경.카마쿠라(kamakura)는, 중심부의 번화가나, 자동차의 통행량이 많은 간선도로 가를 제외하면, 기본적으로는, 조용하고 침착한 주택지가 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

일찌기, 가와키타 나가마사(kawakita nagamasa)·카와키타인가 해 개(kawakita kashiko) 부부(아래의 보충 설명 참조)가 살고 있던, 카마쿠라(kamakura)의 저택(부지면적, 약 9,500평방 m( 약 2,900평))의 부지.이 저택은, 동부부의 유족이, 영화 기념관에와 1994년에, 카마쿠라(kamakura) 시에 기부해, 현재는, 동부부의 실적 및 동부부에게 인연이 있는 영화에 관한 전시를 중심으로 한 자료관, 카와키타(kawakita) 영화 기념관이 되고 있습니다.덧붙여 이, 카와키타(kawakita) 부부의 저택의, 안방(main의 건물)(1910년대에 지어진, 일본 전통식의 저택의 건물)는, 이미 해체되어 현대 건축의, 카와키타(kawakita) 영화 기념관의 건물에 다시 세워지고 있습니다.덧붙여서, 카와키타(kawakita) 부부는, 일찌기, 이, 겐, 카와키타(kawakita) 부부의 저택(부지면적, 약 9,500평방 m( 약 2900평).현재는, 카와키타(kawakita) 영화 기념관이 되고 있다) 외에, 이, 겐, 카와키타(kawakita) 부부의 저택의, 곧 가까이의, 1920년대부터 1930년대에 지어진, 서양식의 독립주택(현재는, 카와키타(kawakita) 가와는 무관계의?개인의, 독립주택이 되고 있다)도, 저택의 일부로서 소유·이용하고 있었다고 합니다(이 독립주택은, (장소(대로)적으로), 그 전을, 몇번이나 통과하고 있지만, 의식해 본 일은 없습니다만, 넷(internet)에서 볼 수 있는 사진을 보는 한, 부지면적은, 400평( 약 1,320평방 m) 정도 있을 것 같습니다...).
가와키타 나가마사(kawakita nagamasa)·카와키타인가 해 개(kawakita kashiko) 부부:가와키타 나가마사(kawakitanagamasa)(1903 년생, 1981년에 죽는다)는, 일본의 유명한, 영화 수입자, 영화 제작자입니다.1920년대 후기무렵부터 영화 수입자로서 활약해, 1939년, 샹하이에, 일중 합작의, 중화전영공사가 설립되면, 그 최고 책임자로 취임했습니다(그 자신이, 중국 대륙에 건너는 결심을 한 것은 몇개의 설이 있어, 그 자신은, 중국과의 우호의 사다리가 되고 싶다고 설명하고 있습니다만, 일본과 독일과 만주국(1932년부터 1945년에 존재한 일본의 괴뢰 국가.중국의 토호쿠부에 해당된다)의 협정에 의해, 독일 영화의 배급에 대해 만주국이 독점권을 잡았기 때문에, 영화 수입자의 그는, 이것에 대항하려고 했다고 하는 설도 있습니다..wiki보다...).중화전영공사는, 일본이 관여한 국책 영화 회사의 하나였지만, 가와키타 나가마사(kawakita nagamasa)는, 중국측의 스탭(staff)에게 자유로운 영화 제작을 허락해, 일본의 군부로부터의 압력에 저항했습니다.제이차 세계대전에, 일본이 패전한 다음은, 가와키타 나가마사(kawakitanagamasa)는, 가족을, 먼저, 일본에 돌려 보내 샹하이에서, 잔무 정리를 하고 있었습니다만(회사의, 남은 일을 정리하고 있었습니다만), 1946년에, 일본에 귀국했습니다(wiki보다).일본에 귀국해 머지 않아, 1947년에, 가와키타 나가마사(kawakita nagamasa)는, 연합국군최고 사령관 총사령부에 의해서, 일본의 국책 영화 회사에 강하게 관여하고 있었다고 해서?, 공직 추방되었습니다만(정부의 요직이나 민간기업의 요직에 임하는 일을 금지되었습니다만), 전세계로부터, 그가 도울 수 있었던 유태인이나 중국인의 변호의 성명이 나와 1950년에, 공직 추방이, 해제되었습니다(wiki보다).공직 추방이, 해제되고 나서, 머지 않아, 가와키타 나가마사(kawakita nagamasa)는, 쿠로자와 아키라(kurosawa akira.일본의 세계적으로 유명한 영화 감독)의 작품, 「라쇼몽(rashomon)」(1950년)의, 1951년의 베네치아 국제영화제(Venice Film Festival)에의 출품에 관여했던( 동작품은, 1951년의 베네치아 국제영화제(Venice Film Festival)로, 그랑프리(Golden Lion)를 획득.쿠로자와 아키라(kurosawa akira)의 영화 뿐만 아니라, 일본의 영화를, 세계에 알리게 하는 계기 멈추었습니다).카와키타인가 해 개(kawakitakashiko)(1908 년생.1993년에 죽는다)는, 가와키타 나가마사(kawakita nagamasa)의 아내로, 일본의, 유명한 영화 수입자입니다(가와키타 나가마사(kawakita nagamasa)와의 결혼 후, 1930년대무렵부터 활약.가와키타 나가마사(kawakita nagamasa)와 결혼하기 전은, 가와키타 나가마사(kawakita nagamasa)의 비서를 하고 있었다).가와키타 나가마사(kawakita nagamasa)·카와키타인가 해 개(kawakita kashiko) 부부는, 온 세상의, 저명한 영화 관계자와 교류를 가지고 있었습니다(특히, 프랑스의, 저명한 영화 관계자와 깊은 교류를 가지고 있던 같습니다).

 

덧붙여서, 나는, 카와키타(kawakita) 영화 기념관의 건물(자료 전시관.상술한 대로, 겐, 카와키타(kawakita) 부부의 저택의 안방(main의 건물)을 무너뜨려, 그 자취에 지어진, 현대 건축의 건물)안에는, 들어간 일이 없습니다(솔직하게 말하고, 카와키타(kawakita) 부부의 실적에는, 그렇게는, 흥미가 없기 때문에...전혀 흥미가 없다고 하는 것이 아닙니다만...언젠가, 기분이 내키면, 들어가 보겠습니다).

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.쥬후쿠(jyufuku) 절.1200년에 창건 된 불교의 절입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 8매.코마치(komachi) 거리(아래의, 보충 설명 참조) 가에 있는, 카페(cafe)에서, 간식을 먹었습니다.이 카페(cafe)는, 비교적, 최근, 처음으로 이용한 가게에서, 이 때로, 이용한 것은, 3번째였습니다.이 카페(cafe), 향후, 카마쿠라(kamakura)에서, 마음에 드는 카페(cafe)가 될 것 같습니다(덧붙여서, 이 카페(cafe)의 식사는, 꽤, 맛있습니다).
코마치(komachi) 거리:카마쿠라(kamakura)의 중심부에 있는, 전체 길이 600 m정도의, 폭의 가는 대로로, 상점이나 음식점이 늘어서, 관광객이나 현지의 사람들로 활기찬, 카마쿠라(kamakura)에서, 가장 떠들썩한 대로가 되고 있다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.이 때, 저희들이, 마신, 음료.

 

 

좌상.그녀가, 마신, 카페 모카(cafe mocha).

 

 

 

 

사진 이하 2매.내가 마신, 봄을 이미지 한, 탄산음료(soda pop).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.이 때, 먹은, 간식.어느 쪽도, 2명으로, 나누어 먹었습니다.

 

사진 이하 2매.스콘(scone).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

초콜릿 케이크(chocolate cake).

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.이 날의 저녁 식사를, 카마쿠라(kamakura)의, 북 카마쿠라(키타 kamakura) area에 있는, 이탈리아 요리 레스토랑에서 먹고 나서 돌아갔습니다.이, 이탈리아 요리 레스토랑(근년(2011년에), 오픈(open)한 가게입니다)은, 전부터 신경이 쓰이고 있던(어떤 가게가, 오픈(open)하는지 몰랐지만, 오픈(open) 전부터, 신경이 쓰이고 있던), 가게입니다만(이 때까지, 몇회인가, 점심 식사로, 이용하려고 하고, 석이 가득하고(예약으로, 가득하고), 이용 할 수 없었습니다), 이 때, 처음으로 이용했습니다(당일에 예약하고, 저녁 식사로, 이용했습니다).이 이탈리아 요리 레스토랑은, 에도(edo) 시대(17 세기부터 19 세기 중반)부터 1930년대무렵에 지어졌다고 생각되는, 낡은 주택을 개장한, 이탈리아 요리 레스토랑입니다(가게의 분위기는, 좋습니다).

 

 

 

사진 이하 5매.이 이탈리아 요리 레스토랑에서 먹은, 이 날의 저녁 식사.모두, 둘이서 나누어 먹었습니다.덧붙여서, 이 때, 나는, 음료는, 와인(wine)을 마셨습니다.

 

 

 

물고기의, 카파치오(carpaccio), 사라다(salad).

 

 

 

 

 

 

 

 

알맹이조개(조개)와 무의, 파스타(pasta).

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.모짜렐라 치즈(mozzarella), 날 햄(ham), 룩코라(rucola), 파르미쟈노(Parmigiano-Reggiano)의, 피자(pizza).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

올리브(olive) 소(쇠고기.아래의 보충 설명 참조)의, rib roast(rib·short loin)의, 그릴(구이).
올리브(olive) 우:카가와(kagawa) 현(시코쿠(shikoku) 지방(일본의 서남부)에 위치하는 현의 하나)의, 팥(shodo) 도(인구 3만명정도의, 비교적, 큰 도) 산의, 올리브(olive)의 눌러 짬 과실을 주어 기른 소의, 고품질인(고급) 쇠고기.

 

 

 

이 이탈리아 요리 레스토랑의 요리는, 전반적으로, 꽤, 맛있었습니다(특히, 피자(pizza)가, 맛있었습니다.덧붙여서, 이 이탈리아 요리 레스토랑은, 피자(pizza)를, 자랑의 메뉴(menu)로 하고 있는 가게입니다).이 이탈리아 요리 레스토랑, 가격에 비한, 만족도도, 꽤 높고, 향후, 카마쿠라(kamakura)에서, 마음에 드는 이탈리아 요리 레스토랑의 하나가 될 것 같습니다.

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.이 때, 카마쿠라(kamakura)에서, 사 온 것.카마쿠라(kamakura)의, 개스즈(kosuzu)라고 하는 소바가게(소바 식당)의, 고사리(warabi) 떡.고사리(warabi) 떡은, 검소하고, 소박한, 일본 전통 과자의 하나입니다.개스즈(kosuzu)의, 고사리(warabi) 떡은, 마음에 드는 것이 되고 있습니다.개스즈(kosuzu)의, 고사리(warabi) 떡은, 맛있다고 생각합니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(내용이 모이고, 형태가 무너져버렸습니다만), 내용은, 이런 느낌...

 

 

 

 

 

부속의, 흑밀과 콩가루(대두를 분말로 한 식품)를 붙여 먹습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이하, 적당하게, 덤...투고의 본문( 「카마쿠라(kamakura) 산책&음식」)란, 관계가 없습니다.

 

 

 

 

 

사진 이하 7매.어제 점심 식사와 저녁 식사등.덧붙여서, 어제, 출근전에, 우리 집에서 먹은 아침 식사는, 평상시 그대로의 아침 식사(빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yoghurt))였습니다.

 

 

어제는, 일의 용무로, 키츠쇼지(kichijyoji)(도쿄의 서부 교외 최대의 번화가.도쿄 중심부(도쿄 23구)에 가까운, 도쿄의 서부 교외에 위치한다)를 방문했습니다만(키치죠우지(kichijyoji)는, 일의 용무로, 잘 방문합니다), 도쿄 치카라째 해(도쿄 chikarameshi)의, 키치죠우지(kichijyoji)의 점포에서 먹은, 어제 점심 식사.구이 소고기 덮밥(구이 쇠고기사발).나는, 소고기 덮밥(쇠고기사발) 식당의 체인점(chain)은, 종합적으로 보면, 극히 이따금부터, 이따금 이용하고 있다고 한 느낌입니다(이용하지 않을 때는, 상당히 오랫동안, 전혀 이용하지 않는 한편, 이용할 때는, 상당히 계속해 이용할 때도 있다).
도쿄 치카라째 해(도쿄 chikarameshi):동경권을 중심으로, 점포를 전개하는, 패스트 푸드(fast food)의 소고기 덮밥(쇠고기사발)의 체인점(chain)(메뉴(menu)의 종류는, 풍부합니다).도쿄 치카라째 해(도쿄 chikarameshi)는, 구이 소고기 덮밥(구이 쇠고기사발)을, 메뉴(menu)의 특징(자랑의 메뉴(menu))로 하고 있습니다.도쿄 치카라째 해(도쿄 chikarameshi)도 그렇습니다만, 일본에 있고, 소고기 덮밥(쇠고기사발) 식당의 체인점(chain)은, 통상, 패스트 푸드(fastfood)의 소고기 덮밥(쇠고기사발)의 체인(chain)이 되고 있습니다.그 일로부터, 일본인에 있어서의, 소고기 덮밥(쇠고기사발) 식당의 체인점(chain)의 소고기 덮밥(쇠고기사발) 등의 존재는, 비유해 말한다면, 미국인에 있어서의, 맥도날드(Macdonald’ s) 등의, 햄버거(hamburger)에 가까운 존재라고 할 수 있는(가장, 일본에는, 맥도날드(Macdonald’ s) 등의, 패스트 푸드(fast food)의 햄버거(hamburger)의, 체인(chain)도, 많이 있습니다만...).

 

 

 

 

 

 

 

어제, 점심 식사 후, 키치죠우지(kichijyoji)의 거래처의 하나를 방문한 후, 이동의 사이에, Auntie Anne’ s의, 전철(한국식에 말하면 지하철)의, 키츠쇼지(kichijyoji) 역의 점포에서, 휴식(조금 휴식)하고, 먹은, 간식.딸기 밀크(딸기 milk)의, 프렛트르(pretze)(왼쪽), 사워 크림&양파(sour cream&onion)의, 프렛트르(pretzel)( 오른쪽).

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.일로부터, 우리 집에 돌아와 혼자서 먹은, 어제의 저녁 식사.모두, 마트에서 산 것입니다.이 외, 가볍고, 야채 사라다(salad)를 먹었습니다.상당히, 배가, 빵 빵에(배가, 매우 가득하게)가 되어 버렸습니다.덧붙여서, 어제의 저녁 식사시는, 음료는, 일본술과 맥주를 마셨습니다.

 

사진 이하 2매.고등어의 스시.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매는, 중국 요리.

 

 

사진 이하 2매.국산(일본산) 돼지고기의 슈마이, 범립의 슈마이, 게의 슈마이.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

어패류(seafood)와 계란의, 칠리소스.

 

 

 

 

 

 

 

 

이하, 적당하게, 잡다한, 덤...

 

 

 

망고(mango).왼쪽, 멕시코산의 망고(mango).오른쪽, 타이(Thailand) 산의 망고(mango).

 

 

 

 

 

 

이하, 과자, 여러가지...

 

 

사진 이하 2매.카가와(kagawa) 현(시코쿠(shikoku) 지방(일본의, 서남부)에 위치하는 현의 하나) 산의, 큰, 률, 만두.일본에서는, 만두는, 일반적으로, 안에 단 팥소가 들어간, 대중적인 일본식 과자(일본 전통 과자)의 일종의 일을 말합니다(일본에서는, 만두(여러가지 종류가 있습니다)는, 가장, 잘 먹을 수 있고 있는, 일본식 과자(일본 전통 과자)의 하나가 되고 있습니다).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

내가 좋아하는, 벨기에(Belgium)의 쿠키(cookie).나는, 이 쿠키(cookie)의 소박한 맛을 좋아하고, 잘 먹고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

옛부터, 흔한(자주 있다), 캐나다산의, 메이프르시롭(maple syrup)(메이플 설탕(maple sugar))의 크림(cream)을 사이에 둔, 쿠키(cookie).

 

 

 

 

 

 

 

덴마크(Denmark) 산의, 크랜베리(cranberry), 쿠키(cookie).

 

 

 

 

 

 

이하, 초콜릿(chocolate), 여러가지...

 

 

 

벨기에(Belgium) 산, 오렌지(orange) 풍미의(오렌지 필(orange peel)들이의), 트뤼프 초콜릿(chocolate truffle).

 

 

 

 

 

Francois Douce(남 프랑스의, 과자 회사)의, 초콜릿(chocolate) 과자.선물.

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.일본산의, 밴드 에이드(Band-Aid) 형의, 초콜릿(chocolate).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

하와이(Hawaii) 산의, 화이트 초콜릿(white chocolate).

 

 

 

 

 

사진 이하.Royce’ 돌담(ishigaki) 섬(아래의 보충 설명 참조)의, 흑당(흑설탕) 초콜릿(chocolate).선물.맛있습니다.오키나와(okinawa) 현에서는, 사탕수수(sugar cane)가 많이 재배되고 있고, 오키나와(okinawa)는, 설탕의 주요한 산지가 되고 있습니다(오키나와(okinawa) 현에서는, 실제로는, 보통 설탕(흰 설탕)의 원료당이, 많이 만들어져 있습니다만(아마...), 일반적으로는, 흑설탕의 산지로서 유명합니다).
Royce’돌담(ishigaki) 섬:Royce’(홋카이도(hokkaido)(일본의 북단에 위치하는, 도도부현(prefecture))의 삿포로(sapporo)(홋카이도(hokkaido)의 중심 도시)의 고급 초콜릿 회사)의, 오키나와(okinawa) 현(일본최남단의 현)의, 돌담(ishigaki) 섬에 있는 자회사.오키나와(okinawa) 현은, 1879년까지, 류큐(ryukyu) 왕국이라고 하는 독립국이었던 때문, 일본안에서, 꽤 개성적인 문화를 가지는 지역이 되고 있습니다(오키나와(okinawa) 현의 전통 문화는, 지리적 조건 및, 중계 무역나라로서 번창한 역사로부터, 매우 대잡파 말하면, 중국·일본·동남아시아·오세아니아(Oceania)의 요소가 들어가 섞인 문화라고 하는 느낌일까...).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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